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【Aiの視座 第6回】詭弁、トンデモ論とは「定義」で戦え

特集 Aiの視座 -これからの世界の見つめ方-

【Aiの視座 第1回】ブロックチェーンが個人の権限を拡張する

【Aiの視座 第2回】ブロックチェーンと脱・消費資本主義への道

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【Aiの視座 第4回】AI時代に変化する恋愛と結婚の形

【Aiの視座 第5回】これからの「定義」の話

【Aiの視座 第6回】詭弁、トンデモ論とは「定義」で戦え

【Aiの視座 第7回】ヒューマニスティックAIの未来

【Aiの視座 第8回】AI時代の幸福と、テクノロジーの本分

日本人同士で「異文化交流」する時代

ーー前回(第5回)、日本でも生き方の多様化、コミュニティの細分化が進み、それに伴いコミュニケーションの在り方も変化しているのではないか、というお話がありました。それはやはり、インターネットの普及以降、加速度的に進んでいるように感じられます。

 

 かつては、マスメディアにもっと力があったから、例えばテレビが言ってることを軸にコミュニケーションすることが可能でした。つまり、いちいち物事の定義をしなくても、共通の前提がマスメディアによって担保されていたわけですね。でも、今はもうマスコミからの一方的な情報がすべてではありません。個人がそれぞれ、違う情報を持って生きるような世界になってきている。そしてインターネットーー特にSNSの浸透以降は、個人のメディア化も進んでいます。

 

 

ーー本連載で以前話題に上った、「個人の時代」という話にも繋がりますね。

 

 そうですね。そして、それはどういうことかと言えば、共通項がないところでコミュニケーションを取らなければいけない、ということです。そうなると、やはり前提の違いをはっきりさせるーーつまり定義をしないと話は始まりません。

 

 

ーー前提が違っているのに、そのことの了解が取れていないから、SNS上の揉め事は平行線を辿るのかもしれないですね。

 

 多くの人が、自分の帰属しているソーシャルグラフしか見ていなかったりしますからね。でも、そこからちょっとでも外れると、もうコンテクストや前提から違ってくるので、途端にコミュニケーションができなくなってしまう。そりゃ議論にもなりませんよ。

 

 

ーー例えば、自分のツイッターのタイムライン上では常識となっていることも、そこから外れた途端、非常識なものになっているなんてこともあります。

 

 かつては、コミュニケーションの成り立たない相手は切り捨てることができたかもしれません。ある種の諦念ですね。でも、これだけネット社会になっていて、コミュニティの細分化が進んでいる今、そうも言っていられないと思うのです。このままでは、それこそムラ社会の集合体になってしまいます。日本人は、いわば日本国内で異文化交流しなければならない時代に突入しているのではないでしょうか。にもかかわらず、もともとそうした文化ーーつまり定義文化がないせいで、コミュニケーションが断絶してしまってるような感じがあります。それこそ、ネットでの不毛な言い合いなんかを見ていると、特にそう思います。よく「思考停止」みたいな言い方で攻撃する人がいますが、あれって相手に対して「あなたバカですよ」って言ってるようなものですよね。「空気が読めない」とかもそうですけど、「バカ」の代替語ばかりが増えてしまって、議論にならない。そうなると、ただの口喧嘩にしかならない。議論と口喧嘩の区別がつかないと、そこからなにも発展しない。

 

 

ーー言われてるほうも、たぶん相手のことをバカだと思ってるから、「いや、バカはお前だろ」とループしてしまう。

 

 相手に「思考停止」と言って満足している状態もまた、思考停止状態ですからね。

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