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「定義」なき国、日本

ーー田中さんには以前、他媒体でも取材させていただいたことがありますが、その時に「定義すること」の重要性を力説されていたのが印象的でした。今回は、そのへんをちょっと掘り下げてみたいのですが。

 

 いですよ。最初にきちんと定義することにこだわるのは、僕が数学者であることが大きく関係していると思います。その他の命題を導きだすための前提として導入される最も基本的な仮定であるところの「公理」から始まる数学は、それこそガチガチに定義するところから始めないと、足元がグラついてしまう分野ですからね。それから、超定義文化の国であるアメリカに10年間住んでいたことも大きいでしょう。

 

 

ーー定義への意識は、アメリカと日本とではそんなに違うものなのですか。

 

 日本に帰ってきて思うのは、この国には定義文化がない、ということです。そしてそれは、この国が、日本人を中心とする単一文化でやってきたことと大きく関係していると思います。定義文化は、異文化交流の上に生まれます。なぜなら、異文化同士が交われば交わるほど、コミュニケーションが成り立たなくなるからです。

 

 

ーー言葉や習慣や宗教など、前提となるものが異なるからですね。

 

 その通りです。同じ言葉であっても、想定するものがそれぞれ違っていたら、会話もかみ合いませんからね。そこで、まず足並みを揃えるには、定義するところから始めなければいけません。あなたにとってこれは何を指しているのですか? わたしにとってこれは非常に重要な事柄ですが、あなたにとってはどうですか? そうした基本的なところを定義することから、コミュニケーションが始まっていく。そうした定義文化は、欧米とかになると、もう普通のこととしてあるんですよね。

 

 

ーー例えば、アメリカなどは移民の国としてスタートした歴史があります。そもそも国の成り立ちからして、文化の混合が前提になっている。ゆえに「まずは定義」と。

 

 対して日本は、よく「単一文化=ハイコンテクスト文化」な国と言われます。

 

 

ーー文脈(コンテクスト)の共有性が高い文化ゆえに、ことさら伝える努力をしなくても、何となく意思が通じてしまう。空気で理解し合っていると言いますか。

 

 これは雑談ですけど、たまに「トマトは野菜なのか、フルーツなのか」みたいな話になることってあるじゃないですか。他愛のない話のように聞こえますが、1893年にアメリカでは、このジャッジをめぐって最高裁までいって議論されたことがあるんです。
リンク: https://en.wikipedia.org/wiki/Nix_v._Hedden

 

 

ーーなぜそんな大事に?

 

 当時は、野菜を輸入する際には10%の関税がかかり、対して果物の場合は除外品目とされていました。だから貿易商も本気になって、なんとかこの関税から逃れようとしました。で、たくさんお金を払って、いい弁護士を雇って裁判で闘うことにしたわけです。結局、トマトは野菜という判決になってしまったんですけど。言ってみれば、これも定義の話ですよね。こうしたエピソードがごろごろ転がっているのが、アメリカという国なのです。

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